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 大昔から燃え盛るものに太刀打ちするのは難しかった。
 昔話の中では猛る火にただ茫然とする人々も良く描かれる。
 だから火は怖い。
 けれど私はあの時、確かに淫靡な炎を見た。




Dikirion




 酷く寒い日だった。
 母に頼まれたおつかいで店の品を持っていく。中身は薬草だった。
 隣国との境に一番近いこの街は、旅人達が良く集まる。すれ違う人々の人種は多様だ。中にはあからさまに耳が尖っているものだっている。
「お代をしっかりと受け取っておくれよ」
 お昼頃に客があらわれ、欲しい薬草のリストを出してきた。しかしその中の一つがちょうど切らしていた為、夕方の仕入れの後に届けるという事になったらしい。店を出られない両親の代わりに、私が届け物をする事となり、今、歩いている。
 日が傾けば更に冷え込む。からりと乾いた風がうなじを過ぎた。ぞくりとする寒気に、吐息を吐き出す。
 目的地である宿の前へついた頃にはもう日はとっぷり暮れていた。指定された部屋番号の前へ行き、戸をたたく。
「あのう、角の薬屋のものです。言われていた商品を持ってきました」
「ああ、はい。少し待ってください。…ブルース!」
「ああ」
 奥で男の人の声がした後、別の声が応えた。戸に近付く気配がして、私はもう一度品を抱え直した。そして、戸が迎え入れるように開く。
「わざわざ遅くに、悪いね」
 顔を出したのは、柔和な笑顔が似合う細身の青年だった。ふわりとエメラルドの瞳を細めて笑う。
 海の様な、深い水色の美しい髪をしていた。
「来てくれたのに中に入れてあげる事が出来ないんだ。ごめんね」
「いえ。あの、これ」
「ああ」
 あまりにも穏やかな笑顔に一瞬見とれていたが、慌てて本来の仕事をこなす。袋に入れた品を渡すと、彼はもう一度微笑み、受け取った。
「ありがとう。…ちょっと待ってて」
 そう言うともう一度部屋に戻り、扉を閉める。何かぼそぼそと話し声の様なものが聞こえたが、おそらく中でもう一人の男の人と話しているのだろう。暫くするともう一度、彼が顔を出した。
「外は暗い?」
「ええ、もう日は暮れて」
「そう。送って行くよ」
 彼は外套とマフラーをつけて出てきて、後ろ手に扉を閉めた。
「そんな、悪いです」
「いいよ。無理を言ったから君のお母さんにお礼も言いたい」
「でも」
「それに、君みたいな女の子を一人で帰らせるのは心配だ」
「…ありがとうございます。お言葉に甘えます」
 そう、此処は旅人が良く集まる場所だ。当然中にはならず者だっている。その為、この暗がりを一人で歩くのは多少心もとなかったのだ。まだまだ子供の私は非力だ。もし何かあっても抵抗出来ない。
 彼は初めて見た時と同じ様に柔らかく笑うと、じゃあ行こうかと促した。何故かその笑顔に少しだけ違和感を感じたが、私は気にせず素直にうなずいた。
 宿を出ると街頭がけたたましく街を照らしていた。私の家は少し裏手にあるので、そっと大通りを抜ける。
「君の店の薬草が届いて良かったよ」
 彼は白い息を吐き出しながら話しかける。夜の湿気をまとった空気はかたく澄んで、星は煌めいていた。
「仲間が少し患ってね。あれが無いとどうしようも無かった」
「酷い病気だったんですか?」
 届けた品を思い出しながら尋ねる。確かあまり出回らない、少しマニアックな品だったと思う。滅多に売れないので、在庫が無かったのだ。
 彼はうーんと首をかしげて、困ったように笑いながら答えた。
「病気自体はそんなに酷いものでも無かったんだけど…本人がね、ちょっと」
「そうですか」
「でも、もう大丈夫。ありがとう」
 返事をする代わりに微笑めば、彼もにこりと笑った。
 青年が持つ空気は穏やかだった。凪いだ海の様だと思った。静かに今までの旅の話をしてくれて、会話は楽しく弾んだ。その時、一層冷たい風が吹いた。思わずぶるりと体を震わせた。
「冷えますね」
「そうだね。…マフラー、使うかい?」
「いえ、そんな。それではあなたが冷えてしまいます」
「僕はいいんだ」
 空気が揺らいで、青年が微笑んだのが分かった。しかし月明かりが逆光となって、一瞬良く見えない。
「僕には炎があるから」
 ホノオ、と言った声は酷く嬉し気に濡れていた。
 そのトーンに驚いた時、横の道からゆらりと影が動いた。不穏な空気に思わず立ち止まると、彼もぴたりと歩みを止めた。
「こんな夜更けに散歩たぁ、えー、どーっしったの!」
 ゆらゆらと揺れる目の前の影は三つ。ここら辺とは違う服装、つまり、こいつ等も旅の人なのだろう。だがしかし、咽返る様なアルコールの匂いと、酷く下品な笑い声からして、質の悪さはうかがえるというものだ。彼は怯えて震える私の肩に手を置き、ゆっくりと後ろに下げた。
 男達はへらへらと笑いながらじりじりと私達ににじり寄る。
「そろそろ酒代もつきてきそーなんだよ。いいところで会ったなぁ」
「…渡せないよ。これはお前達の下らない酒盛りなんかに消える為のお金じゃない」
「言うねぇ」
 青年が穏やかに、しかしはっきりとそう口にすると、男は酒臭い息を吐きながら豪快に笑った。後ろに従う二人もへらへらしている。
「そんなひょろい体してるくせによ!」
 叫ぶや否や、男の体が動いた。彼の頬へ思い切り拳を減り込ませる。骨と骨がぶつかる鈍い音がして、彼は吹っ飛んだ。
「キャアア!!」
「黙ってなお譲ちゃん、すぐ終わるからよぉ」
「それまでこっちでいいことしようや」
「いや、離して!」
 汚い腕が私の手首をつかんだ。不快感と嫌悪、そして恐怖で鳥肌が立つ。暴れてもまだ成長しきってない私の体では何の抵抗にもならない。
 難癖をつけて暴れたいだけなのだ、このならず者たちは。ただただ暴力だけが在るのを感じ、震える。先程青年を殴った男はげらげらと笑いながらもう一度彼に近付いていく。
「男だろぉ、お譲ちゃん守るナイトじゃねぇのかよ、えぇ? ははっ、情けねぇなぁ」
 唸る青年に罵声を浴びせた後、そのまま鳩尾に蹴りを喰らわす。ウッと短く呻く声を聞いて、更に男は高笑いをした。
「お願い、もうやめて!」
「馬鹿言うんじゃねぇよ、こんな楽しい事、やめれる訳ねぇだろ!」
 私の腕をねじあげる力も強くなった。声にならない悲鳴が咽から洩れる。怖い。ただ、怖い。
 男がもう一度彼へ蹴りを繰り出そうとした、その時だった。
 闇夜を赤く照らす閃光が背後からうねる。
 冬とは思えない熱が頬を焼いた。
 轟音がとどろいた後、生きているのかと思う程の勢いを持った炎が男を包み込んだ、ギャアと悲鳴すら焦げさせて、炎が何度かもがいた後、ふっとかききえた。肉が燃える嫌な匂いも消し炭も一切残さない程の熱だった。
「触らないで。それ、あたしのものよ」
 後ろから聞こえたのは、高い少女の声だった。しかしその声は、先程の炎とは打って変わって、底冷えする程冷たい。私の腕を持っていた男達もダラダラと冷や汗をかきながら、ギギギと音でも出そうな程、ぎこちなく振り向いた。私もそれに倣う。
「ブルースを傷つけていいのはあたしだけだわ」
 そこには月明かりを受けながら、一人の少女が立っていた。
 眼に入ったのは、赤。
 紅蓮の炎を思わす赤く豊かな髪が、頭の上で二つに分かれて揺れている。その下にある顔は人形のようにあどけなく、端正だ。そして、瞳。彼と同じ、エメラルドの色をした瞳。それが今、燃え盛る様な怒気を孕んで濡れている。
「誰の許可を得ているの!」
 ヒステリックに叫んだ後、今一度炎が上がった。彼女を包むように一瞬膨れ上がった後、声も出せない程にひるんだ男達へ一直線に伸びた。耳元で再びギャアと嫌な悲鳴が一瞬だけ聞こえた後、再び男達はまるで存在していなかったかのように消えた。
 夜すら燃やす様な、それほどまでに強烈で、凶悪な炎だった。
 茫然と立ち尽くす私には眼もくれず、少女はつかつかとブーツを打ち付けて通り過ぎた。孕んだ怒気が漏れ出て皮膚に触れる。ぞくりとするほど冷たく、熱かった。
 少女の足は真っ直ぐに青年の元へ行った。そうだ、怪我をしている。私も慌てて彼を見た。青年は胡乱気に顔を少女へ向けて、そして上半身を起こした。
「あの、」
 パン!
 大丈夫ですかと声をかけようとすると、高い音が耳をつんざいた。そして彼は起こした上半身が再び倒れるのではないかと思う程、傾いだ。
 再び私の体は固まった。後ろから見える少女は青年の前にぺたりと座り込んでいて、酷い勢いで振り下ろした左手はそのまま、息苦しい程のいら立ちを抑えずに垂れ流している。
「どうして勝手に傷つけさせたの」
「…ごめん」
「許さない」
 先程の炎が嘘みたいな、冷たい声。ぶった左手は怒りで戦慄いている。
「誰であろうとあたしのブルースを傷つける事は許さない。触れる事も許さない。それを許すなんて、ブルースも許さない」
「うん」
「あなたの髪の毛だって指先だってまつ毛だって血だって皮膚だって内臓だって何もかも全部全部あたしのものなの。声だって熱だって何だって!」
「うん、分かってる」
「勝手に知らない人に傷つけられないで、触らせないで!!」
「うん、ごめん、ごめんね、マゼンダ」
 金切り声で叫ぶ彼女は彼の頬に手を伸ばし、そのまま抱きしめると言うには些か乱暴すぎる仕草で彼を引き寄せた。首筋にかじりつく、そんな風に見えた。
「あたし以外で傷つかないで…!」
「うん、うん、分かってるさ、分かってるよ」
 そして彼も彼女の背に手をまわし、その燃える炎へ指を絡めた。細く白い指が、炎にまとわりついて、しなやかだ。
「僕は君だけのものだ」
 彼女の肩越しに見える彼を見て、皮膚が泡立った。
 一緒に居た時の穏やかで柔和な笑顔とは違う、溶けて、ここではないどこかを見ている、そんな笑顔だった。けど、けども。
 酷く満ちている。
 凪いだ海のような髪は燃える炎の横で静かに揺らめいた。彼はとてもうれしそうに、そして酷く幸せそうに笑っている。先程まで私に見せていた笑顔はとても人当たりがよさそうで、優しかった。けれど何かズレているような、そんな違和感を感じさせた。だが、こちらの方は、見る者の呼吸を奪う程までに、そう、ぞっとするくらい、美しい。
 こちらを向いているけれど私を見ていなエメラルドの瞳の奥が、揺らめいた。
 アア。
 二、三歩よろめいた後、振り返らずに走った。逃げなくては。燃やされてしまう。あの、あの、緑の炎に!
 すぐに家が見えて駆け込む。靴を脱ぐのがまだるっこしくなるほど、何かに急いていた。
「お帰り。遅かったね。…どうしたんだい、慌てて」
 母が怪訝な顔をして私を見る。荒れた息が邪魔をして返事が出来ない私を、更にいぶかしんだ。
「あんた…お代は?」

 次の日、彼は再びやってきた。
「昨日はほったらかして悪かったね。それと、お代」
 左の頬には大きく絆創膏が張られていたが、傷はほぼ治っているようだった。傷を治すスペシャリストは居るんだ、と彼は笑った。その笑顔は初めて会った時となんら変わらないものだった。
「無事みたいで、何よりです」
「ああ、君も傷つかなくてよかった」
「…あの」
「ん?」
 小首をかしげると、水色の髪がさらりと落ちた。やはり海の様だと思った。
 けれど、私は知っている。
「寒くは、無いですか」
 木枯らしが吹く。今日も再び吐く息が凍る程に寒い。冬はまだまだこの街を蝕んでいて、指先が冷えて痛い程だ。
 彼はニタリと笑った。再び私の背筋は凍った。その笑顔は昨日の夜、彼女の横で見せた様な、人間臭い、そんな笑顔だった。
「寒くはないよ。僕には綺麗な綺麗な、炎があるんだから」
 唄うように夢見るように、彼はそう言うと再び表情を戻した。
 私は知っている。普段、海はとても静かだけど、時折強い力を持っている事を。何もかも飲み込む様な、そんな強さを持っていることを。
 そう、それは、炎のように。
「帰らなきゃ。長居してたら、また怒られちゃう」
「…ええ。さようなら」
「うん、さよなら」
 にこにこと笑いながら手を振り、彼は歩み始める。最後にちらりと見えた瞳はまた、ゆらりと揺れていた。