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 あなたは闇で俺は光だ。
 だから何だって言うんだ。だって俺だって、君だって、







【崩れ落ちる誘惑のユートピア、次代の楽園にて君を待つ。】







 光は届かない。呼吸すら闇に溶ける。どこまでも暗いこの敷地の一際深い場所で、重厚な扉が俺の前に立ちはだかる。もうこの扉を開ける事すら――だるい。
 ずたずたの両手を扉にそえる。深く息を吐いた後、全体重をかけて押した。見た目通り、重かった。
 扉を開けて飛び込んできたのは、やはり闇だった。奥の方には空が見える。それは深く淀んでいる。雲の切れ間に太陽が見えるが、それでも此処は闇だった。
「やあ…待っていた」
 全てが無くなってしまいそうな中、静かな声が響いた。目をこらせばゆらりと黒が動いた。
「かわいそうに。一人かい」
 ずるり、と衣擦れの音。そして靴底が床を叩く音。俺は後ろ手で扉を閉める。空気が揺らいで扉は重い音を立てて閉まった。その瞬間、此処は更に暗くなる。深く、深く。立っているのもやっとの中、目を瞑ればこのまま溶けてしまいそうだ。
「ああ、そうだよ。皆死んださ」
 見えない奥へ声をかけた。それはこの中に吸い込まれて消えただろうか。
「そう」
 靴音が止んだ。そして俺の目の前に何かが止まった。
 まず動いたのは、紅だった。ガラス玉のように美しく静かな紅が、俺をとらえた。
 美しい女性に見える。しかし醜女にも姿を変える。妖艶にて危なっかしく、男の様に力強さも持つ。彼女? 彼? ただこいつは、そうだ。
 闇だ。
 人ではない気配を持ち、その声は低く高い。これが渇望した魔王だった。命を奪うと、意気揚々と目指した、魔王だ。
「ブロント。君は泣かないのか」
「泣いている暇なんてあったか?」
「そうだね」
 小首を傾げれば、絹の様に美しい髪がふわりと流れ落ちる。彼? 彼女? どちらにせよ美しく醜い、だが、艶やかだ。
「君もぼろぼろだ」
 何故だろう。この対決は歴史の中の大きな一ページだったはずだ。勇者と魔王の対峙だなんて、何万人もの吟遊詩人が唄う物語であるはずだ。それなのに、心は妙に穏やかで、空気はどこか淡泊だ。緊張感も昂揚も無い。あるのは、ただ、酷い虚無感だけだ。
 紅はもう一度、ゆらりと俺を見た。エルフの瞳も紅かったが、この紅は違う。中に何も無い。けれど何かが燃えている。
「君はわたし達を憎んでいるかい」
「そうだ。お前達は、俺達人間を喰らうから」
「君に直接被害を与えただろうか」
「仲間を殺しただろう」
「歯向かうからじゃないか」
「…そうだな」
 静かにそう言えば、再び闇は歪んだ。ぐ、っと俺に顔を近づける。人の形をしているのに人ではない、その肌は青白い。尖った耳の先には一つ、金色のリングがついていた。それだけが明確で、それ以外は何もかもがぼんやりとしている。色の無い唇が緩やかに動いた。
「わたしは、君達を憎んじゃいないよ。そうだね、たくさんの同胞を殺してくれた。けれども、それは君達に力があったからだ。仕方ないさ」
「…」
「ねえブロント。君はわたし達が人間を喰らう事を怒っているようだが…君達も家畜を喰らうじゃあないか。それと何が違うんだい」
 老いた女の様にも聞こえる。あどけない少年の様にも聞こえる。不思議な音色を聞く耳は酷く重い。もう痛みすら麻痺した指先はこの場所に浸食されたかのように、重い。脚も、もうこの戦いが終われば機能しないだろう。
「わたし達も生きている」
 たくさんのものを背負ってきた。死んだ人々の魂、遺された人々の憎悪、そして仲間達の期待。俺は勇者だった。何に変わることなく、ただ、勇者だった。
 ただそれは“人間”の世界の話であって。
 此処は闇だ、魔だ。だから俺の世界じゃない。ならば俺は今何だろう。こいつにとっての餌か。
 俺はこいつにとっての光であるつもりだった。けれどそんなものはただの勘違いだったのだろう。些細で矮小、下らない誤謬だ。
「けれど君達も生きているんだろう。そして君達が家畜と違うのは、力がある事だ。だから抗う事を許そう。…何て、もう抗えないかい?」
 そうだな。
 頼りにしている仲間は皆死んでしまった。皆が矛盾と葛藤しながらそれでも“人間”が生きる為に戦ってきた。
 この両手はたくさんの命を奪っただろう、この胃はたくさんの命を溶かしただろう、巡り巡る体液には生命が詰まっている。そうやって生きている。何もかもを踏みつぶして、そしてその上に立っている。
「なあ、魔王」
「何だい」
「お前から見て人間は、どうだった?」
「…愚かで、醜く、時折美しく、そして、そうだね、悲しかったよ」
 嫌いじゃなかったさ。そう言って俺の腰の剣を抜いた。闇の中でこの剣は光らない。もうぼろぼろだ。俺と一緒だ。ぼろぼろだ。
「ブロント」
「何だよ」
「わたしはね、君にずっと会いたかった」
「何でだよ」
「おなじにおいがしたのさ」
 刃の部分に触れると、即座にその部分は黒く溶けて消えた。そして、魔王は俺を見た。その時初めて形が確立する。薄い唇は微笑んだように、見えた。
「フィナーレにしようか」
 もうどうにでもなれ。皆生きている。世界でどんな形であれ、皆生きているんだ。ただ俺はもう、疲れた。
「おやすみ。いつかまた…出会えるかな」
 魔王が俺の腰に手をまわした。全身で触れる。眼を瞑る。ねむい。体は、重い。
 何だ、魔王。
 お前だって、暖かかったんだな。