目が覚めた。夢と現実は未だに混ざり合っていて、世界が溶けている。喉の奥で声が引きつり、もがこうとして、漸く布団ではない何かに包まれているのが分かった。驚いて思わず身じろぎをすれば、寝ぼけた腕で更に強く抱き締められた。その瞬間広がった匂いで相手が分かった。もっとも、こんな事をするのは一人しか居ない訳だが。
「…何しているの」
「ン…起きたのか?」
「何でいるの」
「何だまだ夜中じゃないか」
「ねえ」
「もう少し寝よう…それとも俺のぬくもりでも味わいたいか?」
「聞いてよ…」
 会話がままならなければ、私を離す気も無い。いつもこうだ。彼には私の気持ちが伝わらない。眠たそうなくせに力だけはしっかりとしていて、思わずため息を吐いた。
「リン、幸せが逃げるぞ」
「…どの口がそう言うの?」
「俺はいつでもリンの幸せを祈っているさ」
 いけしゃあしゃあと。
 うんざりついでに顔をあげれば、思いのほか近くに彼の顔があって、思わず息をのんだ。
「だから今、此処に居るだろう」
 いつも通り不遜な顔で笑う。釣り上げられた口角と愉快そうに歪められた眼が目の前にあった。
 窓から洩れる月明かりが、不思議な色をしたクロウの髪を美しく輝かせる。紅い瞳は妖しく光り、この世では無いどこかを覗かせる。要は――美しいのだ。死ぬほど。
 心を奪われそうで、端正な顔から眼をそらした。しかしそうすれば彼の胸に更に顔を埋める様で、何だか居心地が悪い。この密度は、いけない。いつも思うけども。呼吸をすれば胸いっぱいに彼の匂いが広がる、触れた場所から熱が来る。それがたまらなく、いやだ。
 この距離ではどうせこの胸の高鳴りも伝わるのだ。
 もぞもぞと居心地の良い場所を探っていると、クロウが更に強く抱きしめた。
「良い匂いがする」
「ちょっと」
「リンは暖かいな」
「ちょっとちょっと」
「俺は完璧に目が覚めた訳だが」
「どこ触ってるのっ…」
「まあ時間もまだまだある」
「ねえ!」
「このまま進んでも…」
「っ…!」
 最低だ。分かっていたけど。
 さっきよりも強い力で抗うが、びくともしない。恐怖と焦りで背筋が冷えていくが、これ以上の力も出せない。クロウは頭上で声を殺して笑っている。
「笑い事じゃないわ! 嫌よ!」
「分かっている、冗談だ」
 クロウは今度こそ咽の奥で嫌な笑い方をすると私の髪を撫でた。しなやかな指だ。男の手ではあるのだけど、本当に気持ち良い指だと思った。ぐ、と言葉に詰まる。
 いつも翻弄される。その美しさや優しさや傲慢さに。抗えないのはきっと恐怖の所為だけではない。
 ゆっくりと私の髪を梳きながら頭を撫でる。その掌の熱と指に安心をおぼえているのも事実で、悔しい。
「…ねえ」
「ん」
「何で居たの」
「夜這いだな」
 しれっと頭上でそう言う。思わず体をこわばらせるとあやすように背中を叩かれた。
「でもやめた」
「…じゃあ何でこんな状況なの」
「唸っていたじゃないか」
「え」
「寝ながら泣いていたじゃないか」
 一瞬体を離して私の顔を覗きこむ。そしてそのしなやかな指が私のまつ毛に触れた。私のまつ毛が震えたのを見ると、彼はまた強く抱きしめた。
「だからだ」
 指は止まない。彼の低く美しい声も。頭上で甘く響く。
 黙った私を見て、彼は息を漏らす様に笑った。
 優しい、けれど、怖い。
 酷く優しい。蜂蜜でどろどろに溶かされた砂糖でも舐めているかのように、胸焼けする程甘い。けれど怖い。残忍さを知っている。あなたの赤を知っている。
 なのに何でだ、何で別の意味で泣けてくるんだ。
 甘い指が止まらない、砂糖の声が止まない。あなたの赤がちらちらと瞬く、熱が、体が熱い。
「寝よう。俺が居る。大丈夫だ、今度こそは良い夢が見れるさ」
 正直夢の内容は覚えていない。けれど夢を見させたのはこの人の所為だろう。そして今から夢を見なくなるのも彼の所為だ。
 急に体の力が抜けて、瞼が重くなるのを感じた。
「リン、大丈夫だ。そうだ、俺が居る」
 ああ恐ろしい。
 きっといつか何もかも無くなって彼だけが私の傍で笑うのだろう。いつもみたいに口角を釣り上げて紅い瞳を歪ませて。
 それでも良い気がしてしまってるなんて、馬鹿だ。
 段々と瞼が重くなる。そしてこのまま眠るだろう。出来る事なら一生眠ってしまいたい。今が夢になるように。
「おやすみ、リン。愛している」
 そうね、前髪越しに触れた唇の感触だけ、あっちに持っていってあげても、いいわ。





Sweet dreams



(Nighty-nighty).